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東京地方裁判所 昭和39年(ワ)120号 判決

原告 遠藤政賢

被告 国

訴訟代理人 宇佐美初男 外四名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は「被告は原告に対し、後記(一)(二)の各工事をするか、または、金一九万八、〇〇〇円を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決、および仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、次のとおり述べた。

被告は昭和三八年七月頃から同年一二月頃までの間、訴外株式会社渡辺組をして一級国道二〇号線(通称甲州街道)の改築修繕工事をさせたのであるが、その際、(1)渡辺組は原告所有の東京都府中市新宿二丁目八一三九番地先歩道に地盛りをしたので、同所にある原告が他に賃貸している木造亜鉛鉄板葺二階建店舗に出はいりができなくなり、借家人は店舗(寿食堂)の使用が困難となつた。(2)、原告の居住家屋のある原告の実子訴外近藤政宣の所有する同市新宿二丁目八一三九番、八一四一番宅地先の歩道に地盛りをし、宅地側の大谷石塀およびコンクリート塀高さ七尺、長さ三〇間二九尺の袴石を埋めたので、原告方の石塀、門柱の美観は著しく害されたばかりでなく、降雨のときには歩道から宅地内に汚水が流れ込み、二箇所ある門前は一面水たまりとなる状態である。

そこで原告は、被告に対し右の(1)(2)について後記のような各原状回復工事をするか、或いは、原状回復費用として合計金一九万八、〇〇〇円の支払いを求めるため、本訴に及んだものである。

被告は「訴却下、または請求棄却、および訴訟費用は原告の負担とする。」旨の判決を求め、答弁および被告の主張として次のとおり述べた。

一、原告主張の事実中、その主張の頃被告が(訴外渡辺組に請負わせ)国道二〇号線改築工事のため、原告主張の店舗前の歩道(但し、店舗のすぐ前の一部を除く)を地盛りしたこと、原告主張の大谷石塀の袴石が右歩道面との関係で若干低くなつたことは認めるが、その余の事実は争う。

二、被告は、本件国道工事事務所において、本件工事を開始した後の昭和三八年一二月四日から数回にわたり、本件道路に面して住宅および貸家を所有する原告から(1)歩道に面した原告所有の大谷石塀の袴石が見えなくなり、美観を損ねるので歩道を下げること、(2)原告所有の貸家(寿食堂)の引戸(道路の方へ開くように作つてある。)が開かなくなるので、店舗前の歩道を下げ扉が開くようにすること、(3)屋敷内から道路の下水溝に通じる既設の排水管を修復すること、の三点について申し入れがあり、折衝の結果同年一二月一七日被告工事事務所において原告の要求する(1)大谷石塀の袴石は一寸五分程度表面に見えるようにすること、(2)寿食堂の引戸は元どおり開閉できるようにすること、(3)原告方敷地内に流入する道路上の雨水を排除するために、後日適当な個所に桝を拵えること、の三条件を承諾し、直ちに工事を開始し、(1)(2)については同月一八日に歩道の一部切り下げを実施し、(3)も昭和三九年二月二日工事を完了した。

三、原告の訴が不適法であるか、請求が実質的に理由がないことについての主張は別紙のとおりである。

(証拠省略)

理由

原告の本訴請求が被告の国道二〇号線改築工事にともない原告に生じた損失の補償、または補償金に代わる工事を求めるものであることは、その主張から明らかであるところ、道路法第七〇条第一項は、道路の新築、または改築により「当該道路に面する土地について、通路、みぞ、かき、さくその他の工作物を新築し、増築し、修繕し、若しくは移転し、又は切土若しくは盛土をするやむを得ない必要があると認められる場合において」、道路管理者は、これらの工事をすることを必要とする者(損失を受けた者)の請求により工事費の全部または一部を補償するか、その要求によつて補償金に代えて道路管理者が当該工事を行なわなくてはならない旨規定し、同条第二項第三項は、これについて道路管理者と損失を受けた者が協議をし、協議が成立しない場合には収用委員会に対し土地収用法第九四条の規定による裁決を申請することができる旨定めている。これは、適法な道路工事に伴ない道路に面する土地につき施行を必要とするに至つた工事の費用を、工事を必要とする者(損失を受けた者)のみに負担させることが公平を欠くとの見地から道路法が特に認めた損失の補償であつて、右の規定に基づかないで、当然に補償請求が発生するものではない。したがつて、同条に基づく損失の補償(補償金に代える当該工事の要求を含む。)を求める者は、同条に則り道路管理者と協議をし、協議の成立しない場合においては、収用委員会に対し土地収用法第九四条の規定による裁決の申請をし、裁決に対して不服がある場合、はじめて出訴できるものと解さなくてはならない(土地収用法第九四条第九項参照)。すなわち、協議の成立または裁決前にあつては、道路管理者のする補償の内容については具体的に定まつていないのであるから、損失を受けた者は、道路管理者に対し特定の内容の給付を要求することはできないというべきである。問題の道路工事による原告の損失につき、原告と道路管理者(本件では建設大臣)の間において、原告が本訴で請求するような内容の協議が成立したことについては、何んらの主張立証がなく、収用委員会の裁決を経由していないことも、主張自体から明らかであるから、原告の被告に対する本訴請求は、すでに右の点において理由がないものといわねばならない。

そればかりでなく、検証の結果によれば、被告の修正工事によつて国道二〇号線の原告主張の大谷石塀に沿う部分の歩道は、問題の袴石が或る程度見えるように低い水準に保たれ、所要の箇所に水はけのための集水桝も設けられ、また「寿食堂」の前の道路も切り下げによつて食堂の扉の開閉その他店舖への出入りに不自由を来たさない状況となつていることが認められ、当裁判所の客観的評価によれば、道路法第七〇条により損失補償に代えて行なわるべき工事施行の要求は、現状において、すでに満足されているものと認められるので、これらの点からも、原告の請求が理由がないことは明らかである。

よつて、原告の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担については、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 白石健三 浜秀和 町田顕)

(一)、東京都府中市八一三九番地所在

木造亜鉛鉄板葺二階建店舗一棟建坪七坪五合 二階七坪五合の建物を歩道と同じ高さに上げること。

右の費用 金七万二、〇〇〇円

(二)、同市新宿二丁目八一三九番、八一四一番宅地先歩道の西側の大谷石塀に接する部分約一〇間を下げ、東西の石門二カ所の入口前に放水用の設備を設けること。

右の費用 金一二万円

別紙

被告の主張

一、関東地方建設局東京国道工事事務所は、一級国道二〇号線の拡幅修繕工事を施行している際に、原告の強い要請があつたので原告と話し合を進め原告の申し出に応じて必要な工事を完成した。

原告との右話し合による工事は、原告が補償を受けるに値する損害があると強硬に主張するため、原告の申し出に従つて工事事務所において一部設計を変更(歩道の逆勾配、一部切下)し、また、集水桝を設置したもので、右話し合の成立、工事の施行によつて補償問題は解決済である。

二、道路法第七〇条第一項は、新設又は改築される道路に面する家屋所有者又は占有者が右道路の新設又は改築によつて、従前利用していた生活環境に比べて、受認し難い結果を生ぜしめられるのを救うため、新改築した道路との間に通路、みぞ、さくその他の工作物を新築し、修繕し若しくは移転し、又は切土、盛土をするやむを得ない必要があると認められる場合において、これらの工事に要する費用の全部又は一部を補償すべきものとしているが、家屋所有者、占有者の営業損失とか建物等のもつ美的感覚の減少というようなものについてはこれを補償すべきものとしていない。たとえば道路に面した八百屋が道路の修繕工事のため、客の寄りつきが悪くなつたため売上が減少したというような場合については、当該道路工事の公益性が右私益に優先し、八百屋は右道路修繕工事による売上減少の損害の補償を求めることはできない。これは、工事の内容が本来道路の機能を発揮するためのもので他人の権利利益を侵害する性質が稀薄なこと、被むると思われる被害者の損失なるものが道路使用上の反射的利益であること、道路の新築、改築という公益上の必要のため一般国民も或る程度不便、不利益を受忍すべきであること、また他面工事によつて受ける恩恵があること等公益と私益を比較較量して立法者が補償をする必要性を認めなかつたからに外ならない。

まして、建物等についていだく個人的な美的感覚の如き精神的なものについては補償の対象にならないものである。たとえば、道路工事により、建物、塀等の外部からの見とおしが悪くなり建物等に対する個人的な美的、満足感がそこなわれたとしても、それは社会共同生活上当然本人が受忍すべき性質の事柄で、既存の精神的感覚による満足感の侵害として法の救済(補償)を求めることはできない。

なお所有権ないし占有権の効力の及ぶ範囲は、右権利者が占有し、支配する限度に限られるべきもので、他人の権利行使を妨害したり、権利行使による所有権者らの無形的利益の損失を他に転嫁して補償を求めることは法の保護する範囲でないからである。

三、原告の請求の趣旨記載の原状回復費用につき、被告に補償義務があると仮定しても、未だその補償金額は確定しておらず、補償金額が確定していない以上国にその支払の義務はないから、その給付を求める本訴請求は理由がない。すなわち道路の改築による補償の金額は、第一次的に道路法第七〇条第三項の協議により決定されるべきものであつて、この協議はそれが成立すればいわゆる公法上の損失補償契約に属し、道路管理者は、右協議が成立した場合又は右協議が成立しない場合につき定められた裁決手続もしくは裁判に不服がある場合に認められる判決手続によつて補償金額が確定され具体的補償請求権が成立した場合にその支払の義務を負うが、右所定の手続により補償の金額が確定しない限り、その支払の義務を負わないものであるところ、原告主張の右補償については未だ何らの協議もなされていない(答弁に述べた協議はあつたが、それについては履行済みであること既述)ものである。

四、また、もし原告が本件訴によつて右補償金額の確定を求めるものとすれば、その不適法であることは明らかである。すなわち、補償金額は右述のように先ず協議によつて確定されるべきものであり、それが不成立の場合はその確定のために当事者は収用委員会に土地収用法第九四条の規定による裁決を申請し、この裁決に不服があれば裁決書の正本の送達を受けた日から六〇日以内に訴を提起することができるが、この手続と手順によらずして直接訴をもつて裁判所に補償金額又は具体的補償請求権の確定を求めることは法的に認められないところである。

以上の理由により、原告の訴は不適法又は理由がないから速やかに訴却下又は請求棄却せらるべきものである。

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